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小宮山 隆 ゼミ 平成25年度卒業論文
ガラケーは終わったのか?
高崎 省吾

最近ではスマホ(スマートフォン)が主流になってしまった感があるが、いわゆるガラケー(ガラパゴスケータイ、即ちフィーチャーフォン)を使い続けている人も少なくない。その理由として、通話やパケット料金が安いこと、多機能すぎるスマホに比べてシンプルであること、電池の持ちが良いことなどが考えられる。

また、高齢者にとってスマホは操作方法を覚えるだけで大変ということもあるだろう。

2013年の夏、ガラケーの新機種の発売は見送られたが、暮れには復活するというアナウンスがあった。ガラケーが少し見直されそうな気運のなかで、改めてガラケーの魅力やこれからの使われ方について考えてみた。

一般に「ガラケー」といって念頭に浮かぶ端末の姿は、高度に進化したフィーチャーフォンである。スマホと比べて、そう遅れているわけではない。実際、初期のiPhoneには、多くのガラケーに内蔵されていたワンセグ、おサイフケータイといった機能は内蔵されていなかった。

一方で、通話とメールなどの主要な機能だけを搭載し、ディスプレイやボタンの文字サイズを大きくしたり、凹凸をつけるなどしてボタンの押し間違いを防ぐように設計された高齢者向けの簡単ケータイのようなものも存在する。

さまざまな配慮や工夫が施されてきたガラケーは、世界でもっとも進んでいるからこそ、世界がついてこられなかったという指摘もある。実際、海外のフツーの携帯電話とは比べ物にならないくらい高性能であり、一時期はカメラの画素数で競い、ワンセグ機能も付け、アプリでゲームも可能となった次はおサイフケータイ、そして薄さや軽さで競い、更には防水・防塵、耐久性携帯など、ありとあらゆることをやりつくしたのがガラケーである。そういったガラケーの可能性を、スマホ全盛の中で改めて考えてみた。