「西の長崎、東の佐倉」という言葉がある。なぜ私がこのテーマにしたのかというと、私の地元である佐倉が、私が小学生の時から「佐倉学」という生涯学習授業に積極的に取り組んでいた事がきっかけである。「佐倉学」では地元の歴史を知ろうということで佐倉の歴史的な場所の見学などをした。そこで私は江戸時代から佐倉がオランダとの海外交流を行っていることを知ったのである。特に佐倉は蘭学という医学の分野に積極的に取り組んでいたという歴史があり、本論文では佐倉とオランダがどのようなきっかけと方法で交流してきたのかを研究する。 第1章では現在の佐倉の日蘭交流が「佐倉日蘭協会」を中心に行われていることを述べる。第2章では佐倉藩の歴代藩主と堀田正睦の幼少期と藩政改革、蘭学を取り入れたきっかけについて解説する。第3章では、堀田正睦が蘭方医佐藤泰然を招いたきっかけと、移住の原因、のちに佐藤泰然が開く「順天堂」について解説する。最後に現在に残る蘭学の遺産として、佐倉藩の学問書について解説する。