ドイツは1939年9月1日、ポーランドに侵攻を開始し、第二次世界大戦がはじまった。ポーランドはドイツ軍に圧倒され、西部戦線ではしばらく平穏であったが、40年4月、ドイツ軍はデンマーク・ノルウェーに、5月オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵入し、さらにフランスに侵攻して6月パリを占領した。
これは大まかな第二次世界大戦序盤の展開である。しかし1つ疑問が湧いてくる。つまりなぜ1939〜40年時点において、ドイツ軍にはヨーロッパを席巻する能力があったのか、または持ちえたのかという疑問である。私はこの史実に興味を持った。
ポーランドは、中欧の大国とまで呼ばれた国家であり、本来4週間で地図から国家が消滅するなど当時の感覚からして考えにくいことである。フランスに至っては当時世界で5本の指に入るほどの軍事強国であり、西部戦線に動きがあった5月から考えてもわずか2ヶ月でフランスは事実上陥落した事になる。これも当時の感覚から考えたら異常事態であり、これを、20年前にヴェルサイユ条約で10万人の兵力と2等国並みの軍備しか許されなかったドイツが成したのである。
この緒戦におけるドイツ軍の快進撃を支えたのは、優秀な兵器と人材で固められた軍と、「電撃戦」と呼ばれる。ドイツが生んだ戦闘教義(Doctrine)である。そして、当時のドイツが生んだ兵器、戦闘教義などは後に世界各国の軍隊に影響を与えている。この事実は現代の軍隊について考えるうえでも重要な研究なのである。
第1章では、ドイツ国防軍(陸、海、空軍)+武装親衛隊の成り立ちについて述べ。
第2章では、ドイツ国防軍の電撃戦思想と、第二次世界大戦の戦史について考察し。
第3章では、ドイツ国防軍が戦後の軍隊にどのような影響を残したかについて挙げている。
本論文では、第二次世界大戦時点のドイツ軍における軍事革命について、主に歴史・軍事の著作、解説本を基に明らかにし、当時のドイツ軍は後世の軍隊にどのような影響を及ぼしたのか検証するものである。