2008年6月に秋葉原無差別殺傷事件が起こった。この事件の犯人は、心のより所を携帯サイトの掲示板に求めるが、孤立感を深め、次第に殺人を予告する書き込みを行うようになっていった。犯人は、「自分の存在意義」を他人に示すのと共に、現実世界の疎外感を感じ、携帯電話に依存しているのはないかと考えられる。
本稿では、秋葉原無差別殺傷事件を事例にし、情報社会における若者の問題を携帯電話の利用状況から見てきたが、若者にとって携帯電話とは、「電話=音声としてのメディア」ではなく、「文字としてのメディア」として意識され、現代の若者は携帯電話を電話としてよりも、SNSやメールなどのコミュニケーションの為のツールとして利用しているといえる。若者がメールやネット上のコミュニケーションに依存する背景には、本音を相手に伝えることの不得、つまり、人間関係を形成するのが苦手になっている若者が存在するからである。相手の顔が直接見えないネット上だからこそ、本当の自分をさらけ出せると答える若者もいる。本稿での携帯電話依存症とは、「つながり」への期待と「孤独」からくるものであるといえる。しかし、現代社会の中の携帯電話は、人と人とを繋げるツールであるが故に、新たな孤独を生み出した。その事例として、秋葉原無差別殺傷事件が挙げられる。この事件の犯人は、現実世界の友人や家族とうまくコミュニケーションをとれず、掲示板に居場所を求めすぎた結果だといえる。
以上のことから、モバイルというメディアの発達により、人々の生活を豊かにする一方で、人々を孤独にしやすい状況を生み出したのも携帯電話であるといえる。携帯電話は、現在の社会においてかかせない存在となっているが、その一方で多くの問題を持ったものであることもまた事実である。