日本におけるフォーミュラ・レースの普及と課題 [東京情報大学] [情報文化学科] [平成23年度卒業研究概要集] [平成23年度ゼミのリスト] [ゼミ学生一覧]
柴 理子 ゼミ 平成23年度卒業論文
日本におけるフォーミュラ・レースの普及と課題
松島 弘樹

日本の自動車レースは戦後の自動車企業の復興に伴い、その規模を大きくしてきた。当時はコストの安い2輪車でのレースが先行していたが、三重県の鈴鹿サーキットを皮切りに、各地でサーキットがオープンすると、各自動車メーカーが専属ドライバーを雇い、戦いを繰り広げていった。そんな中海外で世界を相手に自動車レースをしていたのが本田技研であった。「車はレースをしないと良くならない」と言った初代本田技研社長の本田宗一郎は、1960年代から早くも2輪のレースで海外進出を果たし、続いてフォーミュラ1(以下F1)への参加を始めた。2年目に優勝を成し遂げるなど成果を残しながら8年間の参戦を持って撤退した。国内では自動車レースが人気を博し始めた1970年代に、F1を頂点とする国際的フォーミュラ・レースへのステップアップとして、フォーミュラマシンを用いた選手権を開催。結果として歴代チャンピオンの何名かがF1参戦を決めた。

1990年代には、日本におけるF1の人気が高まり、観客動員数やテレビ中継視聴率も右肩上がりであった。ところが、20年余りが経った今、F1中継の地上波放送が2011年をもって中止され、日本の企業もF1から撤退が続いている。加えて国内のフォーミュラ・レースも人気が芳しくない。なぜそのような状況になってしまったのか。また、今後フォーミュラ・レースの国内人気を高めるための要因は何であろうか。

本論文は、F1を頂点とするフォーミュラ・レースの国内普及について考察・研究するものであり、第1章にF1発祥の過程、第2章に日本とF1の関わり、第3章にフォーミュラ・レースの国内普及の課題を考察する。