対人関係と社会構造の関係に対する基礎研究-「空気を読む」ということの深層構造について- [東京情報大学] [情報文化学科] [平成21年度卒業研究概要集] [平成21年度ゼミのリスト] [ゼミ学生一覧]
圓岡 偉男 ゼミ 平成21年度卒業論文
対人関係と社会構造の関係に対する基礎研究-「空気を読む」ということの深層構造について-
関之尾 勇人

本論文は空気を読むということについて、社会学や心理学の観点から分析を試みたのである。2007年の流行語大賞に「KY」という言葉がノミネートされた。これは「空気が読めない」という言葉の最初の頭文字を取ったことにより出来た言葉である。この「空気を読めない」という指摘や行動というものは私たちが友人や知り合いなどの不特定多数の人たち、いわゆる集団というもののなかで日常的に起こりうるものである。集団の中で相応しくない行動を行う、発言をしてしまったに「空気が読めない」という指摘を行ってしまうことがある。それにより、自分の意見が集団とは違っていても、その様な指摘をされないように、自分の意見を我慢し集団に合わせるということをしてしまうことがある。しかし、公式の場ではともかく、仲間集団などの非公式な場で「空気を読む」といった行動を行うのは何故なのか?

「空気を読む」という行為において、社会的相互作用論から検討し、エリクソンのアイデンティティ論といった人間の自我に関する議論などから、空気を読むということは他人に期待されていることを行うことだと定義できる。

そもそも空気を読むということの本質はどういうことなのだろうか?空気を読むということは他者や集団の望むことを行うことである。つまり、「空気を読む」とは他者に期待された行動を行う一方で、時として集団の中で演技をすることなのである。他人の望む役柄やシナリオの中で演技を行い、集団のメンバーは演出を行い、また同時に観客なのである。空気を読むということはその集団という舞台で、他者という観客を前にした社会的行為なのである。

この様に本論では、社会構造と対人関係から「空気を読む」ことの本質を検討した。