成田国際空港(旧新東京国際空港、以下成田空港)は2008年に開港30周年を迎えた。現在では日本の空の玄関口として日本と世界各国、各都市を結ぶ重要な航空拠点として成り立っている。
しかしこの成田空港は数多くある問題の上に存在している。立地条件、アクセス、建設工事の遅延、競合する東京国際空港(通称羽田空港)との旅客争い等が挙げられるが特に重要な問題は空港建設予定地の用地収用に関する政府・空港公団側と地域住民との確執である。この両者の争いは「三里塚闘争」と呼ばれ社会全体に大きな衝撃を与えた。そしてその影響は今なお成田空港の存在に対して大きな影を落としている。
本論文では成田空港が出来るまでの航空交通事情を含め何故あの場所に空港を作ることになったのか、政府・空港公団側の住民に対する対応は適切だったのかを検証してゆく。また同じ首都圏空港である東京国際空港との比較や成田空港が現在行っている地域との共生を目指した活動、同空港がもたらした地域への影響を取り上げながらこれから先地域と共に密着しながら発展していくにはどのような活動をしていかなければならないか私自身の考えを述べていく。