イギリスでの産業革命は1750年頃から始まる。蒸気が発明されたことによって、その燃料となる石炭が掘り起こされ、農場でたくさん飼われていた羊の毛織物業がイギリス北部で続々と始まる。今まで自給自足で暮らしていた人々は、工場で一日12時間も働くようになり、体力補給の飲み物が必要とされた。
自然条件などではなく、社会制度に求める好著である。前提条件として私有財産制科学的合理主義、資本市場、効率的な輸送・通信手段の4つの要素から成るとしている。私有財産制に関しては、大きくイギリスの民主主義の展開に寄る。王といえども法に従え!というマグナカルタの精神である。
イギリス産業革命は1760年代に始まるが、七年戦争が終結し、アメリカ、インドにおけるイギリスのフランスに対する優位が決定づけられたのは1763年のパリ条約によってである。植民地自体は以前から存在していたので、1763年の時点でイギリスが市場、原料供給地を得た、というよりも、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場、原料供給地を失ったというべきであろう。いずれにせよ、イギリスはライバルであるフランスに先んじて産業革命を開始し、フランスに限らず一体化しつつあった地球上の全ての国々に対して有利な位置を占めることとなった。言い換えるならば、七年戦争の勝利によって、イギリスは近代世界システムにおけるヘゲモニー国家の地位を決定づけたのである。
イギリスの産業革命は1760年代から1830年代までという比較的長い期間に渡って漸進的に進行した。またイギリスに限らず西ヨーロッパ地域では「産業革命」に先行してプロト工業化と呼ばれる技術革新が存在した。そのため、そもそも「産業革命」のような長期的かつ緩慢で、唯一でもない進歩が「革命」と呼ぶに値するか、という議論もある。
初期の軽工業中心のころを「第一次産業革命」、電気?石油による重化学工業への移行後を「第二次産業革命」、原子力エネルギーを利用する現代を「第三次産業革命」と呼ぶ立場があるが、このような技術形態に重きを置く産業革命の理解からは、「産業革命不在説」に対する有力な反論は出にくい。そのため、現在では産業の変化とそれに伴う社会の変化については、「革命」というほど急激な変化ではないという観点から、「工業化」という言葉で表されることが多い。ただし、イギリスの事例については依然として「産業革命」という言葉も使われている。
イギリスで産業革命が起きた理由は4つの条件がそろったからである。その4つとは、機械、資本の蓄積、労働者、市場だと思う。
産業革命とは厳密には、1900年代中盤までの産業技術の向上のことを言うが、2000年代に入った現在でもその流れは続いていると言える。産業技術が向上すれば、我々人間の暮らしも豊かになると長い間信じられてきてが、そのようなことはなかった。現在でも地球環境の問題は我々にとって非常に大きな問題である。我々の子孫に暮らしやすい地球を引き継ぐためにも、EMのような対応が早急に必要となっている。
まず、機械。ご存知の通り、ワットにより蒸気機関が改良され、ハーグリーブズやクロンプトン、アークライトなどにより織機や紡績機が発明され、生産力が飛躍的に上昇した。
次に、資本の蓄積。工場を造るにも、新しい機械を発明・導入するにもお金、つまり資本が必要不可欠である。その点イギリスは毛織物工業の発達や、イギリスと西アフリカ、新大陸(北米大陸)を結ぶ三角貿易で資本を蓄積した。
第3に労働者。機械や工場を用意しても労働者がいなくては動かせない。イギリス政府は「第二次囲い込み」と呼ばれる農業政策を行った結果、大量の失地農が都市に流入し、彼らが工場労働者となった。
最後に市場。いくら製品を製造できてもそれを売ることができなければ意味がない。そこでイギリスは北米大陸や、当時半植民地化しつつあったインドへ生産した、綿織物を売った。機械で大量に生産したものですから当然安く、世界の綿織物市場を席巻することができた。