本論文では西洋騎士道と思想、西洋芸術について研究を行う。私がこの研究
を行う動機は人間の生き方に疑問を持ったからである。不自由の無い時代に生まれた我々だがせめて誇りを持った生き方をし、悔いの無いように生きたいと思ったからである。
よって私は誇りを持ち規律に重んじた騎士の生き方、思想に関心を持ちまた、過酷な時代であった西洋騎士の時代の芸術家達は芸術にどのような救いや未来を投影していたのかを
知り考えるために研究の対象に取り上げることにした。
中世に関する歴史研究が進むにつれて、中世の騎士たちの掲げたとされている高潔な行動基準に対して、冷淡な言葉が聞かれるようになってきた。中世後期騎士道はしばしば見受けられたほとんど俗悪と言っていいほどの富の誇示やそれでいて高度な文化的理想と、生活の過酷な現実、それは相容れぬように思われたのである。物語中の騎士や歴史上の実人物に他者が付加した幻想的魅力が、人々の認識を歪めることとなりやがてそれが騎士をだんだんと本来の目的から離れ忠誠奉仕、正義に基づく理想を忘れ、富と虚しい自賛を追及するようになったと考えた者は多くの非難を浴びせてきた。
正統派歴史家ホイジンガが繰り返し述べていることだが、騎士道とは、少数の幸運な者だけが、莫大な費用をかけた大武具大会で、お互いに対する行為に当てはめたに過ぎない道徳的掟である。
政治と共に商業と経済が支配している現代社会で、騎士団と騎士の社会的重要性にあたるものは、多々あるだろう、無論実業界の論理は騎士道論理ほど理想的ではないがそれでも存在はしている騎士団のように今日も国境を越えて共同体を形成し、政治と経済に大きな権力を持っている。またそこには成功もあり失敗もあるまさに中世の騎士と類似である。
騎士の心の法である騎士の十戒、芸術である英雄叙事詩、礼儀作法であるレディーファースト、これらの事は現代においても生きる上で非常に大きな生き方の基盤となるので今後において私も参考にしたい。
研究の目的
騎士-その向上心、経験、は我々にお馴染みである。それは、彼らの価値の多くが、西欧文明において「紳士」というエトスに結合していったから、ともいえる。だがそれは共通点を持ち、ある規則を認めることで結びつく集団を築きその一員(メンバー)とみなされたい、と言う人間生まれつきの欲求の結果として別の社会で同じような集団が生まれたからでもある。中世日本の武士である。
本論文ではほとんどの人がある種の文化的決まりごととしてしか認識していない現象を、人間的歴史的側面から理解することを目的とする。したがってできるだけ実際の個人についての記録、記憶、そして意見に接点を置く。「騎士道」という抽象的概念あるいは規範についての議論ではなく、西暦1000年ごろから1500年少しすぎまでの約500年間の中世騎士世界への探求である。
単に有力な社会的、文化的勢力としてだけではなく生きた1人1人の人間として騎士を論じていく中で、騎士であることの政治的、歴史的側面そして論理的、側面そして思想と共に芸術にも触れていきたいと考えている。