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乾 照夫 ゼミ 平成20年度卒業論文
デビュー以前の手塚治虫
矢野 拓馬

手塚治虫は、1928年11月3日、大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれた。子供のころからマンガとアニメーションに親しみ、マンガを描くのが大好きな少年だった。1946年に4コママンガ「マアチャンの日記帳」でデビューし、1947には年酒井七馬原作の長編マンガ「新宝島」が40万部売れ赤本ブームを起こした。1950年から漫画少年で「ジャングル大帝」を連載し「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」などのヒット作を手がけた。1963年には日本初のTVアニメーション「鉄腕アトム」を制作し、TVアニメでも数多くのヒット作を手がけた。その後、死ぬ直前までマンガを描き続け、1989年2月9日、その生涯を閉じた。

このように、手塚治虫はマンガ家として多大な功績を残しており、そのマンガには大きな魅力がある。私自身もその魅力に引き付けられた一人である。しかし、彼のマンガを読んでいくうちに、「なぜ、手塚はこのように数多くのヒット作品を残すことができたのだろうか」と、疑問を持つようになっていたのだ。本論では、その疑問についてデビュー以前の手塚を調べることでその理由を考えていく。