若松孝二監督は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という映画について、「権力側からの視線でなく」、「中立的な目線で描きたかった」と述べている。連合赤軍が一方的に暴動を起こしたと思っていた「あさま山荘事件」に違った見方があることを知った。そこで、「あさま山荘事件」をもとにしたメディアについて、警察側の視点・連合赤軍側の視点・マスコミ側の視点から、この事件をどのように描いているかを明らかにしようとした。
連合赤軍逮捕翌日の1972年2月29日の朝日新聞・毎日新聞・読売新聞に掲載された、「あさま山荘事件」に関する記事・論説を内容分析した。その後、2002年の「突入せよ!あさま山荘事件」と2008年の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と、前述の記事・論説とを比較した。
その結果、新聞報道では、社会面の記事に見られるように、警察側の視点だけでなく、連合赤軍側の視点も含まれていた。一方、総合面や社説では、連合赤軍が一方的に起こした暴動としてこの事件を扱っていた。確かに視点の多様性は、事件当時すでに表れていた。しかし、現代の映画と比較してみると、当時の新聞報道の多様性は低かった。
このことから、当時からマス・メディアの視点は一様ではなかったが、「あさま山荘事件」についての視点の多様性は、時代と共に広がっていることがわかった。