近年の日本においては、一億総中流と呼ばれた時代が終わり、貧富の格差が拡大していく事を意味する「格差社会」という言葉が浸透し、生活の様々な状況において格差というものが意識されるようになった。その格差という概念は「学歴」の中にも存在する。もともと学歴は、「学校教育に関する個人の経歴」である。高等教育の場で見られる学校入学事前段階の入学試験では、能力によって合否の選抜がある以上、そこに差が生じるのは当然といえる。しかし、学歴それ自体が判断基準として偏重され、結果として「人格や将来の可能性について全体的な評価を妨げ、社会的地位等を早期に固定してしまう」現象が、学歴格差といわれる。学歴を格差にしている要因は何なのか、その向こうにある学力差はどのように生まれるのだろうか。
「学歴社会」や「学力差」について考えた際、主に問題になるのは高等教育段階になる。しかし、学歴取得の手段となり、高等教育段階での学力を支えるのは、突き詰めればさらに基礎的な初等教育段階、中等教育段階の学力ともいえる。高等教育段階の習得内容と比べれば簡単であるし、省みれば当たり前の知識と化していることが認識できる。しかし、学問が階層的な構造を持つ限りは、簡単な内容に対する躓きは、後の高度な内容の理解に影響を及ぼすものである。初期段階で生じた理解の及ばぬ内容や「わからない」ところは初期段階で解消しておくことが必要になる。初等教育において発生する学力差を緩和するためには、学校教育においても個人の習熟段階を理解し、それに見合った補習的内容でその差を補うことが理想とされる。しかし、学校が有する教員の数や知識伝達の仕組みを考えても、個人に即した教育を与えることは実質的に不可能である。この様に知識の確実な伝達及び能力増進のための補佐という初等教育の機能と、現行体制との間に生じるゆがみは、派生的な問題となって様々な影響を与えている。