この作品は、東京情報大学の学生たちが、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の案内で、房総半島に遺された戦争遺跡を訪ね、自分たちの郷土の歴史と文化を考えたものである。
「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は、地域の自然や歴史、文化遺産を活用して心豊かな地域社会を創造しようという目的のもとに活動している。
番組は、中国から東京情報大学に留学してきた趙理さんと、その仲間たちが、房総の大房岬を訪れる場面から始まる。美しい緑の公園の中を進むと、その一角にトンネルが出現する。真っ暗なトンネルの奥に進むと、そこは行き止まりになっている。戦争当時、ここには巨大なサーチライトが格納されていたといわれるが、大学生たちには、その姿が想像できない。
大学生はその夜、県立大房岬少年自然の家に宿泊し、勉強会を開く。戦争前から戦争中にかけて、房総半島には、帝都、すなわち東京を守るための重要な軍事施設が多数構築されていることがわかり、そのほかの戦争遺跡についても調査していくことになる。
翌日から、大学生たちは、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の佐藤さん夫妻をガイドにお願いして、房総の戦争遺跡を訪ねて歩く。まず、赤山といわれる小高い山に掘られた巨大な地下壕に入る。この地下壕は発電機室、倉庫や治療所などとして使われていたのではないかといわれている。壕の壁には60年前のツルハシの跡が鮮やかに残っている。大学生たちは冷えた地下壕の中で、戦争中の人々は何を考え、何をしていたのかに思いをはせる。
壕を出た大学生は、弾薬庫の跡や巨大な砲台跡を歩き、つぎに洲ノ崎海軍航空隊が作ったとされる地下壕へ向かう。地下壕の奥の部屋の天井にはコンクリートで制作された龍のレリーフが浮かび上がり、その力強い姿に、大学生たちは思わず息を呑む。この龍がどのような意図で制作されたのかは謎だという。
次に向かったのは洲崎海軍航空隊の射撃基地跡。標的となった壕の壁には、今でも弾丸の跡が遺されている。射撃場からほど近い場所には戦闘機を隠すための掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる格納庫がある。かつて、この掩体壕にはゼロ戦が格納され、出撃に備えてエンジンが唸りをあげていたのであろう。
続いて向かったのは、震洋(しんよう)と呼ばれる特攻艇の発進用の滑り台の跡であった。震洋は250キロもの爆薬を積んで乗員もろとも敵艦に特攻するための高速のベニヤ製のボートであった。しかし、震洋の出撃態勢が整ったときは終戦を迎え、この場所から震洋が出撃したということはなかった。震洋の発進基地は、説明を聞かなければ古い船着き場のようにしか見えず、現代の風景に馴染んでいる様子が逆に印象にのこる。
次に、桜花(おうか)と呼ばれる特攻機のカタパルト(発射台)の跡を訪ねる。この施設の完成間近に戦争が終わり、ここから実際に発進した桜花はなかったという話を聞き、大学生はほっとする。
最後に、「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の事務局長、池田恵美子さんと、戦後の米軍の上陸地点である海岸に立って、同フォーラムの意義や活動についてお話しを聞き、大学生たちは戦争という時代の人々の営みに思いをめぐらし、現在の平和の意味について深く考えることとなる。
この番組を通じて、あまり知られていない房総の戦争遺跡というものについて、視聴者が関心を持ってくれればいいと思った。作品の評価としても、「一般公開されていない遺跡の映像を観ることができて良かった」、「NPOの方が、戦争遺跡を活用した地域文化活動に取り組んでいる様子に感銘を受けた」などの感想が多かった。戦争遺跡が千葉にあることを初めて知った人も少なからずいた。このような評価があったのは、第1に戦争遺跡そのものに映像的なインパクトがあったこと、第2に戦争を知らない大学生が、現地を取材してこのような番組を制作したことで、視聴者にとって新鮮な驚きや情報を与えたためではないかと思われる。反省点としては、限られた時間の中でたくさんの戦争遺跡を紹介したことで、やや詰め込みすぎの感のあることで、やはり14分間では説明しきれない部分が多かった。放送時間に限りのあるテレビ番組というものの難しさを痛感した。
番組の中での演出上の工夫として、戦争遺跡の現場に、特攻艇や特攻機の模型を置いて、レポーターと同じカットの中で撮影した"イメージ映像"を数カット挿入した。このような兵器のことを知らない若い視聴者にも具体的なイメージを抱いてもらうための配慮であったが、この手法の是非については、視聴者の評価が分かれるところであった。
この作品で伝えたかったことは、戦闘や空襲といった戦争体験だけが戦争だったのではなく、このような戦争のための施設が、房総半島に無数に設けられていった時代があり、多くの人々の営為があったということを、千葉に暮らす若者としても、しっかりと知ることの大切さである。このような遺跡の存在は、とりもなおさず、房総半島の地政学的重要性を示すものであり、長い歴史をふりかえってみれば、この土地での豊かな文化交流の足跡を見いだす`よすが'ともなるものなのである。そして、実はこのような歴史遺産は、どこの土地にも必ずあり、私たちに今もさまざまな問いかけを発しているのである。そのことに気がついたとき、私たちは郷土についてより深く考え、郷土を愛することができるようになるのだと思われる。