1991年暮れのソ連邦解体という事件は、ロシア人のみならず、世界の人々に大きな影響を及ぼした。それというのも、1917年のロシア10月社会主義革命は、二度の世界大戦とともに、20世紀を代表する歴史的大事件と考えられ、その後の歴史に大きなインパクトを与えずにはおかなかったが、そのインパクトをいわば逆転させる意味をもっていたからである。しかし、ソ連邦の瓦解とともにそこでの資本主義復活をもくろんだエリツィンの改革が大失敗に終わり。中国の革命史はロシア革命の影響で進んでいった、旧ソ連崩壊の今、社会主義の大国がさらに減っている。これから中国は新たな社会主義の道を探らなければならない。ですから、私はこのテーマを選んだ。
おもに19世紀中期から20世紀初頭にかけての帝政ロシアにおいて、その目標や方法はことなるにせよ、帝政ロシアの政治的・経済的・社会的変革をめざした思想は、内容的にもきわめて多様である。しかも、ある特定のイデオロギーを「真の」革命思想と規定して、そこからの距離にしたがってその他のイデオロギーの「是非」を分類していくという方法は別として、いかなるイデオロギーを革命思想とみなすかについての明確な基準はない。したがって、ここでは、その対象をいわゆる「ナロードニキ主義」と 「ロシア=マルクス主義」とにいちおう限定し、この二潮流の特質を、三つの側面から歴史的に整理しておくこととする。前提として、帝政ロシアにおいては、社会的階級、社会的集団が彼ら総体の政治的・経済的な利害にもとづいて、帝政ロシアの改革をめざし、その方向性とイデオロギーとして表現したことは例外的な現象であり、革命思想のにない手は主としてインテリゲンツィアであったことを指摘しておかなくてはならない。 ロシアの革命思想はこのような性質ゆえに、献身的、道徳的、倫理的な色彩を強くおび、それらが魅力となって、今日にいたるまで内外の多くの人々の関心を集めてきた。しかし他方では、革命思想の表面にある理論的知的作業と、裏面にひそむ個人的な意志や情熱とが複雑にからみあったり、ややもすれば、後者が前者に優越してしまうという傾向が生じた。したがって、今日、ロシアの革命思想を整理するにあたっては、理論的知的作業と個人的な意志や情熱とを区別する視角が要求されている。