私たちは普段、目で映像を見ている。物に光が当たることで、私たちはその物を視覚でとらえることができる。しかし、私たちは目を使わなくとも映像を見ることができる。それは、「頭の中に何かを思い描く」というような行為であるが、そのように目を閉じたときでも目の前に何かを見たことがある人はきっと多くいるだろう。人間のもち得る機能である目を用いずとも、その行為を「見る」とよぶことができるならば、私たちの世界はさらに豊かになるだろう。
私が目を用いることなく見ることができると考えるものには、イメージやフラッシュバックなどが挙げられるが、その中のひとつに「夢」がある。人は、寝ているときに夢をみる。起きている間に私たちはさまざまなことを体験しているが、それとは全く違う世界が夢の中にはある。そのように異なる二つの世界を体験することができるのは、実にすばらしいことだと私は考える。夢は、皆さんもすでに体験してご存知のとおり、まるで映像のように寝ている間に私たちの頭の中に現れる。では、夢は「映像」とよぶことができるのだろうか。この論文では、映像や視覚、夢や眠りに関して考察するとともに、「夢は映像とよべるのか」ということを考えてみたいと思う。