韓国における日本文化の受容-第2次世界大戦後を中心に- [東京情報大学] [情報文化学科] [平成17年度卒業研究概要集] [平成17年度ゼミのリスト] [ゼミ学生一覧]
柴 理子 ゼミ 平成17年度卒業論文
韓国における日本文化の受容-第2次世界大戦後を中心に-
劉 炳燮

韓流ブームと呼ばれるほどに日本での韓国のドラマと音楽は人気がある。また、韓国でも日本の映画と音楽は人気が高い。しかし、ここまで両国の文化交流が行われるようになるまでは、そう単純な道のりではなかった。私はここで、なぜBOAやSMAPのような歌手が日韓の若者の世代に共感され、自由にお互いの文化と接することができるようになったのかに注目したい。

韓国の1970年代は、「日本」という言葉を口にしただけで「売国奴」と呼ばれるほど厳しかったため、政府が国民に注意を呼びかけていた時代であった。しかし、プサンのような韓国の南部地域では解放後も日本の言葉を使ったり日本のラジオを聴いたりしていた。これほど民間では日本文化が残っていたのに、なぜ韓国政府はあえて日本の文化受容を阻止しようとしたのか、歴代政権の文化政策とその背景をみてみることにする。その後1998年になって当時の大統領の金大中は「日本の大衆文化の開放を恐れる必要がないほど、韓国人の意識は万全である。」と強調し、日本文化に対して開放政策を実施する。しかし、文化開放には性描写が激しく暴力性があるアニメ文化の輸入も不可避であるため、制限された文化開放(段階的な開放)になってしまった。結局、日本大衆文化の開放を恐れる必要がないと言いながらも、恐れて制限がある開放になったのである。私は韓国政府が日本文化の開放に当たって消極的な態度を取った理由は何なのか。本当に暴力性と性描写だけが文化の開放拒否の原因になったのかに疑問を持った。

この論文では、韓国が日本から植民地解放される1945年以後の日韓関係を、特に韓国側の文化政策と韓国人にとっての大衆文化交流と日韓政治関係への態度と、対日意識の変化についても言及することとする。