日本サッカ-の歴史 〜奇跡が起きたベルリンオリンピック〜 [東京情報大学] [情報文化学科] [平成17年度卒業研究概要集] [平成17年度ゼミのリスト] [ゼミ学生一覧]
柴 理子 ゼミ 平成17年度卒業論文
日本サッカ-の歴史 〜奇跡が起きたベルリンオリンピック〜
白石 健

日本で好まれているサッカ-は魅了される人は多いのではないだろうか。私は以下の事を主に3点から当時の様子を可能な範囲で調べてみた。

最初に貴族階級の頃から広まりサッカ-の素晴らしさを吸収していく事の意志伝達の困難さがあった。日本に最初にサッカーを紹介した軍人が帰国すると、サッカーが育たないという彼等頼りになってしまう事態や武家社会が崩壊し鎖国政策が解け、日本に変化が訪れた時期に様々な文化が日本に入ってきて技術や文化の違いを吸収するのに必死で、軍事訓練には必死になっても、サッカ-に熱中するという両立させる事に無理がある事が理解できた。その証拠に、幕末から明治維新にかけて、多くの日本人が西洋文化を日本に紹介したが、その中にはスポーツに関するものは皆無であったのである。

軍事教練として体育を、学校教育においては体操を奨励したが、当時の日本の教育は知育中心であり体育については効果的な普及が出来なかった。また、普及しようにも、その目的・内容・指導方法・施設・指導者等の環境整備が進まず、スポーツ自体が国民生活の中に入っていかなかった。

次に、そんな状況の中に日本のサッカ-の骨組みを作り、サッカ-の研究にも非常に力を入れ、きちんとした指導書も作成された事に半信半疑を持ちながら東京高等師範学校が日本におけるサッカーの普及と強化の中心として活動し、日本のサッカーの役割を確固たるものにした事でサッカ-が全国各地で広がっていく事になる。そして、東京高等師範学校の外国人との交流を深める熱意が届き、横浜外国人倶楽部から試合を受け入れる旨の返事が届いたが、外国人との試合をしてみると実力の差がはっきりと浮き彫りにされてしまうのである。中にはもう無理だと諦めてしまった学生達も多かったが、周りの後押しが有った為に出来たのだろう。更に強化する為に彼等は夏休みに合宿を行い自分たちの経験を加えて従来のものとは全く異なる参考書を作り上げて、実践していくのである。この結果として、高等師範・師範学校のあり方も役に立ちこれらの学校には、本校の構内に付属小学校・付属中学校が併設され、高等師範・師範学校が行うサッカーを見ていた小学生たちが、早い段階からサッカーに親しみを持つようになる事が今後の技術向上に繋がる事になる。

そして、オリンピック参加を目的に設立された大日本蹴球協会を設立した後、サッカー界を統括する団体の設立は困難を極めていた時期もあったが、イングランド・フットボール協会(FA)から、日本の蹴球協会へ純銀製の立派なカップを寄贈してきてという記事が掲載された事を機に団体の設立は無事に解決する事になる。

最後に1920年代半ばに始まった朝鮮との交流を盛んに行っていく最中にも様々な困難が在るが、その試練を克服したからこそベルリンオリンピックでの奇跡が起きたのではないのだろうか。日本の歴史を振り返ることによって、当時の愛し続けてきた多くの人たちの歴史が積み重ねた事柄を研究してみたいと心から思えたからこのテ-マを選んだ。