「日本のコーヒー文化 —コーヒーと喫茶店—」 [東京情報大学] [情報文化学科] [平成17年度卒業研究概要集] [平成17年度ゼミのリスト] [ゼミ学生一覧]
松田 喜好 ゼミ 平成17年度卒業論文
「日本のコーヒー文化 —コーヒーと喫茶店—」
高島 千紘

コーヒーは、江戸時代に入ってから長崎出島にオランダの商人が持ち込んだといわれている。コーヒーが伝えられた当時は、日本人にはほとんど馴染まず、好んで飲用する人間はごくわずかだった。日本人初のコーヒー飲用体験記を書いた大田蜀山人も「紅毛船にて"カウヒイ"というものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくて味ふるに堪えず」と記している。

明治時代にはコーヒーを好む人が増えたが、まだまだ上流階級の中だけの話だった。世間は「鹿鳴館時代」と呼ばれ、貴族たちが鹿鳴館に通い、ダンスなどの欧風文化に酔いしれた。鹿鳴館は伊藤博文らが中心となって建てられた社交場である。日本初の本格的な喫茶店は明治21年には東京・下谷西黒戸町(現在の台東区上野2丁目辺り)に鄭永慶氏が開店した「可否茶館」だといわれている。「可否茶館」がコーヒーを提供することを目的として作られた店であることが、そう言われている所以である。鄭永慶氏は鹿鳴館が貴族などの上流階級の人間しか利用できないことに強く反発し、可否茶館を一般大衆や学生が利用できる知的な社交サロンにしようとした。しかし、それでも客足は増えずに赤字経営が続き、3年で閉店してしまった。

大正時代から昭和時代初期には、コーヒーの輸入量が確実に増えていき、コーヒーを好んで飲む人が増えていったことが分かる。しかし、昭和13年頃から輸入規制が始まり、コーヒーは貴重品になってしまう。昭和50年頃に輸入再開されるまで、大豆などを使った代用コーヒーやわずかに市場に出回る軍の払い下げコーヒーを楽しむしかなかった。そして、現代ではさまざまな様式の喫茶店やカフェが増え続けている。自分の好きな空間で美味しいコーヒーを堪能することに「癒し」を求めている現代人は少なくないだろう。このように、コーヒーは江戸時代から現在に至るまで長きに渡って、多くの人々に愛されている世界一の嗜好品である。