今回この吉原のことを調べて驚いたのは、資料によって記載内容が異なるということである。遊郭の中身をやんわりと説明し、褒めちぎっているものもあれば、最もどろどろしたところを優先的に挙げ、けなしているものまである。また、だいぶ昔のことであるために、伝説や口頭で伝わったものなどをベースにしてある資料も多々あった。やはり表に上げられる文化ではない、ということなのであろうか。
"粋"この一言のために当時の男や女たちはどれだけ誇り高く生きていたのか。遊女は貧乏な家に育ち、つらい奉公に耐え、それでも幸福を手に入れられるものは少なかった。男たちも、当時は身分の差がはっきり別れていて、使われるものは一生使われるものとして働かねばならなかった。遊女たちはそんな男たちの癒しの場所として手を広げていたのである。自分たちも辛いことが多かったため、辛い、と甘える男たちを無碍にはできなかったのである。母性にあふれる女性。吉原には恋や商売の駆け引きだけでなく、そういう愛が其処彼処にあふれていたのではないだろうか。今はだいぶ影を落としているが、あの静かな町並みは、女性の暖かさで包まれていたのである。
本論文は、その吉原で働く遊女たちの、華やか且つ苦境に満ちた人生と、その花街で300年余り守られてきた慣わしやしきたりを紹介したものである。