1987年4月1日、日本国有鉄道がその38年間の歴史に幕を下ろした。国鉄とともに、ある新幹線建設計画も消えた。「成田新幹線」-それは、首都・東京を新東京国際空港と結ぶはずの高速鉄道である。
60年代の航空需要の急増、ジャンボジェット機の就航、新時代の国際空港は、広大な面積を必要とした。新東京国際空港は、そのため、千葉県成田市三里塚を建設予定地として選んだ。都心と60km離れた新空港へのアクセスには、新幹線を用いることに決定した。かくして動き出した成田新幹線計画であるが、採算性を疑問視する国鉄の尻込み、途中駅なき沿線自治体で巻き起こった反対運動。工事が遅遅として進まないまま、1987年4月1日が訪れ、成田新幹線はまぼろしになった。
本研究は、この成田新幹線を中心に進めた。その計画の全体像、反対運動と裁判、紆余曲折の末の成田空港の開港、行政改革と国鉄民営化、京成電鉄や京浜急行といった私鉄との競合、成田新幹線はそれらに影響を及ぼし、また影響を受けていた。こういったものを一通り網羅しようとしたので、全体としてのまとまりにかけるかもしれないが、ご容赦ください。