なぜこのテーマを卒業論文のテーマにしようと思ったか。それは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロがきっかけである。始めはテレビを見ていたが、どのチャンネルも旅客機が貿易センタービルに衝突する映像ばかりで、一瞬、映画のワンシーンなのかと思ったほど真実味に欠けていた。
その後の報道も気になったので枕もとのラジオを点けると、そこではテレビとはまったく違った放送がされていた。その時間、ラジオでは生存者の安否を気遣う放送がされていた。しかも、その安否情報は、番組を担当しているパーソナリティによるものだった。この時ほど、ラジオが『双方向』だという事を実感した事はなかった。
こういった状況の中で必要になってくるのは、衝撃的な映像ではないと私は思った。こうした災害時に人が本当に必要としているのはインパクトのある映像なのであろうか。その事を考えた時に頭をよぎったもの、それは、多くの犠牲者を出した『阪神・淡路大震災』だった。
そこで私は、阪神・淡路大震災の時に「テレビとラジオに出来た事・出来なかった事は何か」を確かめる必要があると思った。阪神・淡路大震災という未曾有の災害経験を経て、特にラジオはその経験を今にどう活かしているのだろうか。私はこの論文で、災害時にラジオが果たすべき役割とは何かを検証するとともに、また、こうあって欲しいという願いをこめて研究に取り組んだ。
論文では、第一章で、地震発生直後・その後のテレビとラジオの取った行動を時系列で検証し、疑問に思った事など自分の意見を述べている。第二章では、テレビ、ラジオの出来た事・出来なかった事などを検証し、その経験を今にどの様に活かしているのかを文献を参考に調べてみた。そして、第三章では終わりにと称して、災害時のメディアの役割や、今後の、災害時ラジオ放送への期待、また、私達自身が災害を軽視してはいけないというところで論文を締めくくった。