遠くて短い国とも呼ばれている朝鮮人民共和国(北朝鮮)はブラクボックスのような閉ざされた政策を今まで行って来た為、日本にあまりにも知らされていない。だが、ミサイル事件,核問題,そして拉致問題を台頭として北朝鮮に対する 日本の関心がますます高まっている一方である。そのような北朝鮮が どのくらいの日本との深い関わりがあったか 詳しく日本と北朝鮮の関係を取り上げてみる。
北朝鮮は1945年分断され、1948年分断政府を樹立、1950年朝鮮戦争を経て力を養って来た北朝鮮は隣の国、中国とソ連が対立している戦争の期間にも"自主"を保ちながらひやひやな綱渡り外交をし、体制を守ってきた為、1990年 対内外的な環境変化で始まった危機も十分乗り越えられると計算した上で、 外交を進めていた。
このような 北朝鮮の崖淵に立たされたような外交戦略は、 北朝鮮が危機に陥った時、相当な効力を発揮した。最後の理念的な 支援国である中国とつながっている 紐を体に巻いて崖の果てに立たせ、北朝鮮は アメリカとの高位級協商を行い、実質的な支援獲得など、大きな実を結んできたのである。また、厳しい経済難を解消するのに必要な支援を 国際社会からも もらうことができた。ところが、激しく変化しつつある世の中で 今までの政策では これ以上耐えられないことを 北朝鮮側も 認識し始まったところである。
現在、残っている問題は体制保持か、体制改革の道に進むかのところで、北朝鮮体制がどういう選択をするか、微妙な時期にきていると言うことだ。体制保持から外れて改革の道に入る為には まず、外交関係が 成り立たなければならない。
2000年6月、歴史的な南北正常化会談以後、北朝鮮は 西ヨ-ロッパ、カナダなど過去に 敵対しした 資本主義国との修交もし始め全般的に 変わろうとしている。
崖の淵での綱渡り外交は だからこそより恐ろしく見えるし、より 脅かしだった今までの 北朝鮮は 遅かれ早かれ 選択するようにみられる。
現在の体制危機を防いで発展するためには どのような政策を追求すれば良いか金正日は もはや決めているだるう。