本論では主に地元、佐倉の秋祭り、よさこいソーランについての歴史、参加してみての感想などをもとに考察したものである。
佐倉の祭礼は、佐倉城の築城、城下町の発展とともに歩み始めてきました。江戸時代中期の文献によると2 8 0年前には山車や屋台がねった祭礼(附けまつり)が執り行われていた。現代ではお神輿と山車が主な目玉となっています。
お神輿は『古今佐倉真佐子』によれば、当時の佐倉藩主稲葉正知<いなば・まさとも>が享保8年(1723)に山城国淀<やましろのくによど・現京都府>に転封となる前の享保6年(1721)に、稲葉家中の藩士と町方の氏子の協力により代金300両で、それまであった神輿のかわりに新造したものです。
山車は、江戸時代のお祭りには新町六町がそれぞれ趣向を凝らして山車(屋台)を作って町々を引き回しました。明治の中頃東京に市電が通るようになったころ、東京から人形を載せた山車の引き回しが出来なくなったのでという話(一説)があり、新町六町でそれぞれ一体ずつ譲り受けたのが、現在佐倉のお祭りを飾る山車人形です。
よさこいソーランというのは、大きく分けると、よさこい祭りは2つに分けられます。本場、高知県で開催される「よさこい祭り」と、全国に広がりつつある「YOSAKOIソーラン系のお祭り」この2つは、よさこい祭方式(形式)、YOSAKOI(ソーラン)方式(形式)などと呼ばれる事があります。そして、現在「鳴子を持って踊ること」「地元の民謡の一節を曲にとり入れること」などが受けつがれて、YOSAKOI方式のお祭りが全国各地でたち上げられています。