今、私たちの生活は新たな時代を迎えようとしている。今から50年前に発明されたコンピューターは私たちの生活になくてはならないものになった。飛行機は世界と私たちの距離を飛躍的にちぢめ、自動車は私たちの生活でなくてはならないものになった。また、世界の自動車をみてみると日本製が多数活躍しているのが見受けられる。また、これからの時代はロボットの時代でもある。SONYが二足歩行ロボットを作ると、自動車会社の本田はアシモくんを完成させた。そしてこれらの技術は宇宙開発にも大きく寄与している。そしてまさに、これらの技術は日本が今まで蓄えてきたテクノロジーの結晶である。
さて、これらの技術の源流をたどってみると、どの会社の技術もある大会社にぶつかる。例えば世界の本田も日産プリンスも元はある大企業の技術者が流れ込んでできた会社だということが解る。その大企業こそ戦前はその社名を知らない人はいないと言われた大企業中島飛行機(現富士重工業株式会社)である。また社名が示すとおり飛行機の専門会社という特徴から、多くの軍用機も手がけ、戦闘機王国という異名も持ち合わせている。そのため、資料のほとんどが軍用機や社史、初代社長の中島知久平を中心としたものばかりである。
しかし、今回はそこで働いていた技術者や、工員にスポットを当て、特に第二次世界大戦当時の技術者の飛行機に対する思い、当時の戦争に対する見解などを中島飛行機を中心に戦前・戦中の日本の技術及びそこで働いていた工員の考え方などを明らかにし、どのような思いで中島で働いていたのか、またこれら飛行機開発の技術がどのように現在の日本のテクノロジーに寄与しているのかを明らかにしていく。