私が卒業論文のテーマに取り上げたものは、「イメージする」という人間の行動と、イメージしたものをどこにどのように発信するのかという方法、そしてそのイメージはどこへ向けて、どのように伝わるのかというものである。そこで、イメージを発信する「発信者」とそれを受け取る側の「受信者」との間に成り立つイメージ伝達の関係、さらに、その間を縮めるためにはどうすればよいのかということを、主として「映像」という表現形式を通じて論じてみた。
人が持つ、抱く「イメージ」というものは人によって方向性(ベクトル)が違う。それを「映像」という表現によってどれだけ一つの方向(イメージの方向)に固定化できるのだろうか。そこには様々な表現方法があり、そのイメージに、ある特定のメッセージ(意味)を与えるように手段を選んでいく必要がある。その過程では、イメージのメッセージが「わからない」ものを「わかる」ように導いていくための表現方法、あるいは既存の表現に新たな意味を付け加える方法が必要になる。そのためには、自分が抱いているイメージを表現し方向性を持たせようとする時、できるだけイメージの要点を絞り、誰の目から見ても聞いても共通の意識を持たせることができるような表現方法が求められる。
作る側(イメージの発信者)は、自分のイメージを表現しようとする場合、受け手がその表現をどう解釈するか、どう受け取るのかということまでをイメージし考えながら発信する必要があるのではないだろうか。イメージの発信・伝達とは、いわば、発信者と受信者が、与え、与えられたイメージから、さらにまた新たなイメージを作り出していく過程であり、そのイメージをもとに物事について考えることをより意識的に行うコミュニケーションであると私は考える。