本論は、第2次世界大戦後のわが国の戦犯について、戦犯を描いた映像作品ならびに文献資料から論考したものである。まず、戦犯を種類・罪状・判決の別に分類して、それぞれの戦犯の実態はどのようなものであったかを明らかにする。つぎに、戦犯問題をあつかった映像作品、『私は貝になりたい』『アンポンで何が裁かれたか』『東京裁判』などから、そこに描かれる登場人物たちの人間性や、歴史認識のあり方について考える。戦犯には「平和に対する罪」に問われたA級戦犯(28名起訴され25名有罪)と、「人道に対する罪」に問われたBC級戦犯(4,830名起訴され死刑920名、無罪640名)があり、BC級戦犯の場合には、戦犯本人の人間的責任に帰せられるよりは、職務上の立場にあったために糾弾され処刑されねばならなかった人々が多かったが、ここにどのような政治的・倫理的な問題点や矛盾、そして歴史的悲劇が見出せるのかについて論じる。また、このような戦犯処理が、わが国の世論でどのような認識をもって受け取られ、どのような影響を残したのかなどについても見てみる。最後に戦争の一被害者でもある戦犯という存在を、現代に生きるわれわれ自身が、いかに理解すべきかを考える。ともすれば、うやむやな歴史の一こまとして埋没しがちなこの問題を見すえ、敗戦日本の責任を一身に背負わされた彼ら戦犯たちの犠牲の礎のもとに、今のわれわれがあるということを認識したい。このような歴史的事実からなにを学びとるかということが、これからの世界平和を考えるためには不可欠であると思われる。