2002年日韓共催サッカーワールドカップ、2003年盧武鉉大統領の来日など、友好関係を深めつつある日本と韓国ではあるが、現在の変化著しい世界情勢の中にあって、いまだ確固たる相互信頼の絆を結ぶことができずにいる面も残されているように感じられる。そのわだかまりの原因に、両国における歴史認識の問題、その基盤でもある歴史教育の影響力というものが考えられる。1895年韓国李氏王朝の王妃・閔妃(ミンビ)を、日本の公使が首謀者となり、軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害した「閔妃暗殺事件」、1909年初代韓国府総監・伊藤博文が、ハルピン駅頭で韓国の民族運動家・安重根(アンジュンクン)に射殺された「伊藤博文暗殺事件」。この2つの事件は韓国の現代史教育において大きな意味を持ち、その国民感情を形成する大きな要素となっているが、日本の教育では、これらの事件についての扱いはごく小さい。このような歴史教育の差異が、いつからどのような理由で生じたのかについて、両国の外交史や当時の国際情勢もみわたしながら検証してみたところ、日本による植民地支配を経験した韓国の歴史教育には、国家意識の涵養、民主主体性の確立という目的が強く打ち出されていることがわかった。そのいっぽうで、学内でアンケートを実施した結果では、日本人学生の歴史的知識は、留学生のそれと比べてひじょうに乏しいことが明らかになった。すなわち、歴史に対する認識の偏りや無関心が、日韓両国民の歴史認識のすれ違いを助長する一因なのであって、われわれは、まず事実に即した歴史的知識の欠落を埋めていく努力をおこない、情報を共有していくことが大切であると考えられた。このような立場から、本論では、標題の2つの事件、閔妃暗殺事件と伊藤博文暗殺事件について調べ、その歴史的事実の共有をふまえることで、両国の関係をより好ましくより頑強なものとしていくことの一助になりたいと考えた。