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石塚 省二 ゼミ 平成15年度卒業論文
テレビゲーム 歴史と今とこれから
長谷川慶治

テレビゲーム。私が、このテーマで論文を書こうと思った理由はテレビゲームがいかに優れたエンターテインメントであるかを証明したかった。また、私自身がテレビゲームを愛し、どのようにしてテレビゲームが成長してきたのかを歴史を通して伝えたいからである。はじめに、テレビゲームが生まれたのはニューヨークであり、商品としてのテレビゲームではなかった。そして、はじめて商品化されたのも日本ではなくアメリカである。しかし、後に発売される日本のゲーム機をなくしてテレビゲームは語れない。日本のテレビゲームの歴史で欠かすことが出来ないのはやはり、任天堂の「ファミリーコンピューター」であろう。他社もさまざまなゲーム機を発売し第1次ハード戦争が勃発するも任天堂の牙城が揺らぐことは無かった。そして、任天堂は「ファミコン」の後続機「スーパーファミコン」を発売し大ヒットさせ、もはや任天堂には敵はいなくなったと思われた。しかし、SCE(ソニーコンピューターエンターテインメント)が発売した「プレイステーション」により事態は一変した(すぐに大ヒットしたわけではないが)。この人気は今現在でも揺らぐことなく「プレイステーション」の後続機「プレイステーション2」が独走している。日本のテレビゲームの歴史は大きく分けると、任天堂時代、SCE時代の二つに分けられる。任天堂と他社がSCEに勝てなかった理由はさまざまあるが、1番大きな理由はエニックスの「ドラゴンクエスト」とスクウェアの「ファイナルファンタジー」という今となってはあまりにも有名なこの2つのソフトがSCEのハードから発売されたことが大きい。しかし、トップに君臨することなく、儚く消えていったハードやそのハードから発売されたソフトのなかにも素晴らしいものが存在した事を覚えておいて欲しい娯楽というものはさまざまある。本、テレビ、映画、音楽、そしてテレビゲーム、数えたらきりが無い。本は読んで、想像し、感動したり何かを感じたりするものだ。テレビや映画には、動いている映像をみることにより本では味わえない臨場感があると思う。音楽においても詩や曲、また曲だけを聴くのはそれだけで元気になったり、悲しくなったりとするものだと思う。これは1部ではあるが、それぞれ素晴らしいものだ。どの娯楽が1番良いなどということは個人が決めることである。しかし、ゲームはジャンルにもよるが見て、読んで、聴いて、もちろん感動する事もある。それらにプラスしてゲームは自分でプレイすることが出来る。これだけは、本でも映画でも味わえない。とらえ方は人それぞれであるが、私にとってゲームは非常に優れたエンターテインメントである。今現在、テレビゲームは多少勢いが弱いと私は感じている。それは、各社ともにネットワークゲームに力を入れすぎているのである。ネットゲームは確かに面白いものであるが、整った環境が必要であり誰でもできるものではない。これでは、ユーザーがついてこない。私から言わせてもらえばネットワークに力を入れるのはクリエイターが逃げているように感じるのだ。私はそんな現状を打破し、すばらしいゲームが登場する事を1人のユーザーとして待ち望んでいる。