年間3万人を超える自殺者数、凶悪な少年犯罪やリストカット、ひきこもる若者達。日本におけるこの様な事態は現代社会が抑圧を内包することの例証である。社会的抑圧が自我に結実するときに個に現前するのは、離人感覚とでも言うべき自己喪失である。現代においてこの感覚は多くの人々に遍在し、様々な適応形態がある種の人々に発現している。
本論では、抑圧主体を国家に位置づけるといった二項対立的思考を回避するために、社会文化的状況の抑圧という概念を採用している。この文脈において、現代の社会・文化の状況から抽出すべき考察の対象は限定される。すなわちそれは我々の日常性を規定している諸要素である。そこでメディア論と消費社会論を参考に抑圧の構造的特性を論考した。その結果、マス・メディアによる現実の多層化と、電子メディア体験において自己自身の身体が自己に対して他者として顕現するような分裂が生じることが明らかとなる。現実性の変容(離人感覚)は上記の情報環境が一因として反映した結果なのである。
そして、インターネットなどのニュー・メディアの台頭は、その技術的特性によって他者の非現前を現前性に接合する。このような事態にあって、我々はどのような生きかたを選択すればよいのか。