本論は、近年、特に頻繁なものとなってきた感のある、メディアに於ける「規制」の動向について研究するものである。そのために過去の規制・検閲の歴史をひもとき、その上で、今日に至る「規制」の正当性と必要性を正しくかかげ、その意図と全貌を検証するものとする。近年の規制・検閲の在り方は、戦前より日本がおこなってきた、独自の「国安」や「風俗」等の規定による規制・検閲ではなく、戦後に新たに作られた「規制」への意識がその根底にあるようだ。そのため、民間団体による規制・検閲の独り歩きが多く見られるようになった。規制・検閲は、政治や有事などの大義名分から離れたとき、その意義を見出す場所を探し、独り歩きをはじめて「国安」と「風俗」に居場所を求めてしまう。しかしながら、それを言論論争で拒否され、その必要性を否定されてしまうと、また新たな居場所を探して、次なる規制・検閲の対象を求めてしまうようである。近年、頻繁に見られるメディアへの過剰な規制・検閲の行為は、メディアの影響力を考慮した上でも、その正当性が主張されないものが多いと思われる。