テレビというメディアは、目本においては生まれてから半世紀程度しか経っていないものであるが、そのテレビが我々現代人に様々な情報を与えて、この杜会との繋ぐ橋でも言えるくらい、今やこれほど我々の人間生活にとって欠かせない重要な存在である。なのに、今のテレビ放送は商業主義が第一優先で、ニュースを客観的に伝えるはずのマスコミが、競争主義に走っていることと、視聴者の中毒的欲望を満たすためにいたずらに当事者、関係者への強引な取材、ドラマ調のナレーション、効果音、BGMなどを用いた過剰な演出など、ニュースを変質させていった。また、娯楽番組には低俗の内容や暴力のシーンなどぱかりを放送する。それによって、子供や青少年に悪い影響を与え、長引く不況や凶悪な犯罪の増加など、杜会全体が殺伐とした空気に包まれていた。
だが、すべてをテレビの責任にすることもできない。そもそもマスコミが商業主義になったのも、我々がテレビ製作側の思い通りに反応を示しているからだ。私達視聴者は自分の意見をしっかり持つべきだと思います。自分の意見があやふやだから、テレビ側によって作られた意見に流されてしまう。例えぱ、テレビのスポーツ番組で、巨人ひいきの発言をよく耳にする。ニュースもほとんど巨人のことぱかり、インタビューの相手もほとんど巨人選手だ。野球中継も巨人戦がほとんどで、目本で巨人ファンが多いというのは、少なくともこの巨人ひいきのテレビ影響だと私は思います。この例からも、視聴者がどれだけテレビの意見に流されやすいかということが分かるでしょう。また、テレビに監視不完全の目本の行政も改善していかなけれぱならない。そのため、今の目本はマスコミのやりたい放題であり、マスコミによって目本が支配されているといっても過言ではないと思います。
確かに売れることが目的という商業主義はもうかる。しかし、テレビというものは利益を目的として成り立っているものではない。テレビの影響力はその大きさから、いわゆる人権の侵害や世論形成への影響力の拡大など、無視できないものへと変化していったのである。正確に、客観的の報道や高品質な番組を制作するのはテレビ側これから果たさなければならない使命であり、また、我々受け手はこの多様化メディア時代を迎えと同時に私達自信も適切な利用方法を身につくべきだとおもいます。