一言 憲之 ゼミ 平成14年度卒業論文
湯布院開発シミュレーション
植高 寿朗

ここでは卒業論文の抄録に代えて湯布院という地名の由来と湯布院の特徴の一端に触れていくことにする。平安時代に稲などの租税を収蔵する倉院が袖富郷に設置され、以来、ゆふの倉院、ゆふの院、ゆふ院と呼ばれるようになった。また、この頃の和名抄には由布郷とあることから、現在使われている湯布院もこの辺りが起源のようだ。江戸時代には「由布院」という記述が多く使われているが、「ゆふいん」という呼び名は変わる事なく今日まで続いて来た。昭和30年2月に由布院と湯平村が合併する折、湯平の「湯」を取って「湯布院町」とした。「ゆふいん」は平安の昔から、連綿と続いて来た由緒ある呼称であり、湯布院も由布院もどちらも間違いではない。旧地名的なものは忘れがたいうえに、ネーミングもよい。

大分川の源、近隣湖に水と温泉が沸き、大分川に流れ、清流は12,000人の町民にやすらぎを与えてくれる。盆地中央に広がる農地に農業の活力がみなぎる。湧出量全国第3位の豊かな温泉は花や養魚などの産業活用と、国民保養温泉地として、生活方観光をささえる。町の表玄関である由布院駅に、別府・博多から人気特急「ゆふいんの森号」が発着する。世界的な建築家磯崎新氏設計の木造駅舎の待合室はギャラリーを兼ねており、町内にある11の美術室と共に文化の香りを伝えてる。